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2021/12/20

 

 国語の授業では文章を要約するという課題が出されることがよくありますが、音楽学校の音楽理論の授業では、「曲を要約する」という課題が出されることがよくありました。当時はなぜそんなことをやらされているのかよく分かっていませんでしたが、今になってそれがいかに大切なことだったのかを痛感しています。

 曲には無数の音が並んでいますが、曲の骨格を作ったり和声の変化のキーとなる重要な音と、それらをつなぐそこまで重要でない音とが存在しています。それらを見極めて音を選択して、簡単な和音、もしくは簡素化された曲にしていくのが音楽での「要約」です。それを理解した上で演奏しないと、どうしてものっぺりとしてメリハリのない演奏となってしまいます。

 桐朋学園の創始者でもある斎藤秀雄先生は、音楽は文章のようなものだとおっしゃっていたそうです。文章に句読点があるようにフレーズの区切りがあり、!や?で終わるフレーズがある。まさにその通りだと思います。

2021/2/28

 

 先ほどからスーパーで耳にした「お肉ニクニク♪」というメロディーが頭から離れず困っています。

音楽家を志す人なら避けて通れないソルフェージュのクラスで、ピアノで弾かれたメロディーを覚えて楽譜に書き取るトレーニングを子供の頃から続けてしまったがために、耳から入ったメロディーはすぐに頭に焼き付いてしまいます。

 

 ソルフェージュでドレミで歌うことを習い、絶対音感を持っている人間にとって、歌詞のないメロディーはいつでもドレミで聞こえてきます。街角で流れてくるメロディーも、ファーララーファーミレー(ドヴォルザーク新世界第2楽章)と変換して頭の中で口ずさんでいます。ある時ソルフェジュを習っていない人にとってメロディーはどういう風に聞こえてくるのかと疑問に思い、知人に聞いたところ、頭の中ではターララー♪と再現していると聞いて、逆にそういうものなのかと納得しました。

 曲の中で速いパッセージを練習することは早口言葉を練習することと似ています。弾きながらラドミレファシレ、などと頭の中でつぶやき、目で見た音符を頭で処理することが曲のスピードが追いついたときに、弾けるようになる気がします。もちろんまずは指がその速さで動かないといけないのですが。
 子供の頃からやらされていたソルフェージュは無駄ではなかったのですね。

2020/11/6

 

 スポーツジムで筋トレをするときは身体を痛めない程度に負荷をかけるとバランス良く筋肉が鍛えられますが、音楽を学ぶ際にもそれは全く同様で、少し難しく感じるものにチャレンジしていくことで上達し、曲がとりあえず完成し振り返ってみると、始めはあんなに難しく感じたことが今は技術的にできるようになっている、また、音楽についてより理解できるようになったと実感することができます。

しかしながら時々、YouTubeで聴いてこの曲を弾いてみたくなった、と技術的に本人のレベルをはるかに超えている曲を持ってくる生徒さんがいたり、子供はやっとのことで弾いている状態なのに、お母様からもう1か月同じ曲を弾いているからそろそろ次の曲に進ませて欲しいとの要望があることがあります。本人の技量をはるかに上回る曲を教えることは、教える方も結構なストレスで、それはまるで学校の算数の成績が普通の子に、超難関中学の入試問題の解き方を教えるようなもの。10のレベルのことを教えるのに途中の5~9のレベルのことも同時に教えながらいかなくてはいけない上に、最終的にやはり技術的に難しすぎるので、ものすごく大変だったわりには出来上がりに達成感を感じられない。本人がその曲を弾くことで楽しめれば良しとするという考え方もあるとは思いますが。

 

2020/4/1 

 

 楽器が上手く弾ける人は世の中にたくさんいるけれど、本当に素晴らしい音楽家はそうそういるものではありません。でもそんな数少ない素晴らしい音楽家の演奏を聴いていつも思うことは、最初から最後まで、意味をもたない、ただ弾いている音が一つもないことです。凡人だったら何となく音を弾いているだけで終わってしまうような箇所でも、一音一音に作曲家の息吹が吹き込まれ、全ての音が意味を持ち、生き生きとしている。楽器が上手く弾きこなせるところから、そこまで到達するのが実は一番大変なのでしょう。でもそこまで行ってこそ、真の芸術家ですね。

 

 昔アメリカでの留学時代にオーケストラのオーディションのためにモーツァルトの交響曲のオーケストラパートを準備していたときに、Yuval先生のレッスンに持って行ったら先生が弾いて見せてくれたことがあったのですが、単なるオケのパート譜が、まるでモーツァルトのソナタを聴いているかのように全ての音が生き生きとして輝き、美しく、とてもオーケストラのパート譜とは思えないほど素晴らしくて唖然としてしまったことがありました。また、別の時にはイザイの無伴奏ソナタ2番のMalinconia(メランコリー)という楽章のピツィカートの部分を演奏して見せてくれたときのこと。ピツィカートなのにどこか物憂げで悲しくて、それを一瞬聴いただけでたちまちメランコリーな気持ちにさせられたことがありました。ピツィカートだけでこんなに人の心をこんなに動かすってどういうこと!?それは本当に音楽に生命が吹き込まれたかのようでした。まるでイザイがそこに生きて立っているかのような。(Yuval先生の師であるギンゴールド先生はイザイの愛弟子だったので、Yuval先生はイザイの孫弟子ということになり、特別な想いもあったのかも知れません。)ミューズの神が降臨するというのは正にこんな感じなのでしょう。

こういった体験をすると、やはり芸術とは素晴らしいものだなとつくづく思います。

2020/3/7

 

 前回の記事からいつの間にか5か月近くが経っていました。

このところ新型コロナウイルスの影響で、3月末までレッスンをお休みしている生徒さんや、単に体調不良の方など、やけにお休みが多く、突然少し時間に余裕ができました。中にはスカイプでレッスンをしている生徒さんもいますが、一昔前にはあり得なかったことですね。

 全国各地で多くのコンサートがキャンセルになり、今月アメリカのナショナル交響楽団と一緒に昔の同僚がコンサートツアーで来日する予定だったのが来日中止になり、会えなくなってしまったのも残念でした。彼らに限らずコンサートに向けてずっと頑張ってきた方たちは、突然の中止で、さぞかしがっくりと来てしまったことと思います。

コンサート会場では、普段でも楽章の間になると張り詰めていた緊張感が急に緩むのか、会場中の人がものすごい勢いで咳を始め、それが会場内に響き渡り一層すごいことになり、果たしてこんなに大勢の人が咳をする必要が本当にあるのかと疑問に思うことがありますが、年配のお客様も多いですし、コロナウイルスがこれだけ蔓延している今は中止にするのが正しいのかも知れませんね。

 

2019/10/29

 

  大人のヴァイオリン教室を舞台としたTVドラマが数週間前から始まったので、生徒さんの目線から見てみるのもいいかと思い、とりあえず毎週録画をセットしました。年齢も置かれた環境も全く違う3人が一緒に発表会に出ようと奮闘します。

 

 ヴァイオリンのレッスンを始めようと思うきっかけは皆さんそれぞれですが、素敵に曲を演奏してみたい、という気持ちは誰も一緒。その夢を実現すべく、私もできるだけお手伝いできたらと思っています。

2019/10/8

 

 芸術や文学、食などあらゆる文化において、何かを極めるということは、他の人には分からないような些細な違いまでが分かるようになるということだと思います。一般の人には漠然と良いと思えるものが、深く知れば知るほどなかなか簡単には満足できなくなってしまう。でもそのかわりに本当に素晴らしいものに出会った時には、鳥肌が立つような感動を覚えることができます。そうした体験は人生を豊かなものにし、そして更なる素晴らしい体験との出会いを求めて、ますます深みにはまっていってしまいます。

 

先日八ヶ岳で台風のあとの澄み渡った夜空を見上げながら、私がアメリカで師事していたユダヤ人の先生が、「夜原っぱに寝転がって空を見上げていると、始めはただ闇が広がっているように見えるけれど、時間が経つにつれて無数の星が見えてくるだろう。人生も始めは何も見えなくても、探し求め続けていると、だんだんと色んなことが見えてくるよ。」とおっしゃっていたのをふと思い出しました。

あれから何年も経ち、私も昔よりも少しづつ色んなことが見えるようになって、歳を重ねるのも悪くないなと思うこの頃です。

 

2019/10/6

 先日来日してN響とヴィニアフスキの協奏曲を協演したジョシュア・ベルと、インディアナ大学の同窓会日本支部の計らいで開かれた内輪のお食事会でご一緒する機会に恵まれました。

ジョシュア・ベルはもともとインディアナ大学のあるブルーミントン出身で、私が留学したときにはもうキャリア活動を始めていて学校で見かけることはなかったのですが、地元のヒーローのような存在でした。彼の自宅のパーティに友達に連れられて行ったこともありますが、気取らず、とても気さくな方でした。

 

 留学中にドイツ人ピアニストの友人とリサイタルのための準備をしているときに、彼女の知り合いのドイツ人マダムの家でホームコンサートをしたことがありました。当日の朝になって突然友人に「あっ、ジョシュア・ベルのご両親も招待しておいたから」と言われ、何でもっと早く言ってくれなかったのよ~、と急にドキドキ。

最前列に座ったご両親に見上げられながら緊張し、「とても良かったよ」という言葉に、(嘘だ!ジョシュア・ベルの演奏を毎日聴いている人が、そんなのお世辞に決まってる!)と内心思いましたが、とても優しそうなご両親でした。お母さんはいかにも教育熱心そうな黒髪のユダヤ人女性で、お父さんは北欧バイキング系のような体格が良く金髪碧眼、どうやらジョシュア・ベルはお父さん似のようです。

 

 ジョシュア・ベルは多くの映画のサウンドトラックの演奏も手掛けていて、頻繁に訪れている台湾や韓国では映画に合わせて生演奏をするというコンサートの企画もあるそうです。その演奏会、ぜひ日本でもやって欲しいものです。

2019/2/8

 

 先日知り合いのコンサートを聴きにいきました。曲目はヴァイオリンを中心にソナタ、デュオ、トリオなど。あまり馴染みのない曲もあり、新しい発見がありました。

  その一つがショスタコーヴィチの「2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品」。ショスタコーヴィチというと反体制的な政治色の濃い作曲家で、重苦しい雰囲気や皮肉に満ちた曲が多いイメージだったのですが、一曲目の甘くて切ないプレリュード、純真で無邪気な少女のような2曲目、4曲目の感傷的なワルツに5曲目のフレンチカンカンのようなはじけたポルカまで、何だ、こういう曲も書けるんじゃない、と言いたくなるような楽しい曲で、これまでのショスタコーヴィチのイメージをくつがえされました。

 

 

 

なんせ風貌からしてこんな感じですから。

 もう一つ、プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタは、聴きやすい第1番ではなく、演奏される機会がずっと少ない第2番の方でした。この曲は今まで何度かCDで聞いたことはあったのですが、冒頭から何だかとっつきにくい感じがあり、難解な曲というイメージがありました。しかし、生演奏でヴァイオリニストやピアニストの呼吸を感じ、演奏している姿を見ながら同じ空間の中で聴くと、やはり伝わり方が全然違い、初めてこの曲の良さが分かった気がします。もちろん演奏も良かったためだと思いますが。最近は何でもyoutubeで済ませる生徒さんも多いですが、やはりこの楽器の音色や歌手の歌声が身体全体の細胞に沁み込んでいくような感覚は生演奏でしか味わえないものです。また、その時だけ演奏者と聴衆の間で起こる一期一会の瞬間に出会えることもあるので、ぜひたまには演奏会場に足を運んで欲しいと思います。

2018/9/4

 

 もともと暑さが苦手な上に今年の猛暑ですっかりバテているうちに、いつの間にか最後の投稿から5か月近く経っていました。。

 

 先日、「ソウルの女王」と呼ばれた歌手、アリサ・フランクリンが亡くなったというニュースを聞き、アリサ・フランクリンとアメリカで共演したときのことをふと思い出しました。

 アメリカでは、例えニューヨーク・フィルやボストン交響楽団のような名門オーケストラでも、必ず年に何回かはポップスコンサートを弾くことを避けられません。その時によって「ジョーン・ウイリアムスの映画音楽の夕べ」だとか「ハローウイン・コンサート」などテーマが決まっていたり、クラシック以外のアーティストとの共演だったりしますが、さすがに様々なジャンルの音楽が生まれたお国柄、クラシックコンサートシリーズよりもお客さんが多かったりします。

 アリサ・フランクリンは当時すでに誰もが知る大スター。なかなかわがままな女王様だったのを記憶しています。まず、オーケストラの事務局には白いストレッチリムジンで迎えに来てくれないといやだ、と駄々をこね、それからギャラ(確か3万ドル、うちのオーケストラが払ったギャラのなかでおそらくもっとも高額だったのでは)はキャッシュで用意してくれと当日になってからの要求、小切手を用意していた事務局は週末で銀行も開いていないので、手元にない分はスポンサーに借りて回ったとか。

 リハーサルは前日にオーケストラだけでまず一回合わせ、当日の朝本人が到着。’Good Morning!’と登場したずんぐりとした体型のアリサはジャージのような服を着て、頭にはまさかのカーラー。その姿は、一昔前のマンガのおばちゃんの恰好そのものでした。

しかしその日の夕方舞台に現れた彼女はスポットライトを浴びてキラキラとまるで別人のようなオーラをまとい、その歌声も素晴らしく、彼女のプロフェッショナリズムを垣間見た気がしました。

 アリサ・フランクリンの葬儀では、スティービー・ワンダーやジェニファー・ハドソンなどのミュージシャンが追悼パフォーマンスでアリサに別れを告げる様子が、世界同時中継となりました。

 特に音楽家の葬儀やお別れ会では音楽は欠かせないもので、故人の好きだった曲や、思い出の詰まった曲が選ばれることも多いと思います。私は自分のお葬式に流してもらう曲は、学生の時にイタリアの巨匠ヴィスコンティ監督の映画、「ヴェニスに死す」を見て衝撃的な感動を受けてから、ずっとマーラーの交響曲第5番のアダージェットに決めています。できれば私が育てた生徒さんたちが弦楽オーケストラ(+ハープ)を編成して生演奏をしてくれるのが夢。(ヘンな夢、ですか?)

ちなみにピアニストである私の母は、最初ショパンの葬送行進曲が希望でしたが、そのあと、まるで天から美しい天使の歌声が聞こえてくるかのようなフォーレのレクイエムの「イン・パラディズム」となり、今では「もうどうでもよくなった」そうです。

 アメリカで故人を偲ぶときにもっとも頻繁に演奏されるのは、サミュエル・バーバーのアダージョかも知れません。2001年の同時テロ事件のあとは、オーケストラで様々な場でこの曲を演奏しました。

 バーバーは、もともと葬式用の曲として作ったわけではなく、すっかりお葬式の定番曲になってしまったことにいささか不満だったそうですが、J・F・ケネディの葬儀で演奏されたことで有名になり、日本でも昭和天皇のご崩御のときにNHK交響楽団によって演奏されたそうです。ベトナム戦争を題材にした映画「プラトゥーン」のエンディングロールでもこの曲が流れます。

 悲しみと切なさに満ちたこの曲とは別に、皆を団結させ、元気づけるために、アメリカ国歌が演奏されることもあります。2001年のクリスマスシーズンには、12回のバレエ「くるみ割り人形」の公演全ての前に、まず国歌を演奏してから公演が始まりました。しかも、指揮者は国歌の演奏が終わってから登場するということで、そのときコンサートミストレスをしていた私がまず立ってオーケストラ全員に向かって弾き振りをして国歌を演奏するという、大変な役を仰せつかってしまいました。日本人がアメリカで、オーケストラを率いてアメリカ国歌を演奏しているという状況にいささか違和感を感じましたが。

 2018/4/17

 

 先日、ウィーンフィル・コンマスのライナー・キュッヒルさんとN響の友人、そしてNHKの女性アナウンサーとお食事をする機会に恵まれました。お話を伺うと、キュッヒルさんがヴァイオリンを始めたのはなんと11歳のとき。ご両親に連れていかれたコンサートでウイーンフィルを間近に見て、虜になってしまったそうです。

 日本では一般的に、特にヴァイオリンは3~5歳くらいから始めないとプロになるには遅いとか、絶対音感がつかないと思われているけれど、技術的な面から言っても別に全く問題ないということがわかり、目から鱗でした。でもキュッヒルさん、ひたすら一日中練習していると周りの誰もが口を揃えて証言するほどよくさらう人らしく、例え弾いていない時でも常に頭から音楽が離れないご様子。寝ても覚めてもそのことしか考えられないほど好きなことに情熱を注げば、大抵の道は開けるということですね。

 先日のお食事のときは、まだこのあとも演奏旅行があるからとアルコールは一切口にせず、塩分の取り過ぎになるから刺身は醤油なしで召し上がり、普段は一日20km歩かれるとのこと。品川から銀座はいつも普通に歩いているそう。とにかくストイックなんです。

 奥様が日本人のこともあり、親日家で会話はほぼ日本語でOK、とても穏やかで謙虚な方でした。お食事のあと、また歩いてくるからと、夜の街にキュッヒルさんは姿を消しました。

2018/4/15

 

 今日は生徒さんが出演するアマチュアの演奏会に行ってきました。アマチュアオーケストラもピンからキリまでありますが、こちらのオーケストラはなかなかレベルも高く、普段自分ではあまり聴かないブルックナーの交響曲第8番をじっくり味わうことができました。

しかし、ブルックナーの曲は何度聞いたり弾いたりしても、どうも私の心には訴えかけてこない。そこで今日は、なぜ自分がブルックナーに感情移入できないのかを考察してみました。

 まず、ブルックナーの交響曲は、そのメロディーがほとんど四分音符、二分音符、八分音符で書かれているのではないかと思うほど、リズムが極めて単純。しかもそれが少しずつ和声を変えながら、これでもかというほど何度も繰り返される。単調なリズムのために曲が流れず、しかも曲が延々と長い。この曲がなかなか展開していかないところにもどかしさを感じるのかも知れません。

例えばよくブルックナーと比較される、同時代の作曲家マーラーと比べると、マーラーは自身が歌曲として作曲したメロディーを交響曲でも使ったりしていることもあり、聴いたあとに口ずさみたくなるような美しいメロディが其処此処に散りばめられているけれど、ブルックナーは印象に残るようなメロディーがあまりありません。むしろオルガンのコラール風だなと感じることもあります。

 しかしながら、ブルックナーには熱狂的なファンがいることも確かで(ブルオタ=ブルックナーオタクという言葉さえ存在するようです)、ブルックナーがプログラムに載る日はなぜか聴衆に男性の割合が圧倒的に多くなり、演奏が終わるや否やブラボーの嵐ということも珍しくありません。ブルックナーの重厚なオーケストラサウンド、宇宙的ともいわれる広大なスケール、ヒロイックな金管楽器のファンファーレなどが、特に男性を虜にするのかも知れません。

2018/4/12

 

  このところ喉の違和感やくしゃみなど風邪の症状があるのですが、いつもの風邪のように症状が進行していく感じでも熱が出るわけでもなく、もしかしてこれって花粉症?とうとう花粉症デビュー?と思い始めました。花粉症は身体の中に発症原因がたまって一定レベルを超えると突然発症するといいますが、アメリカに14年住んでいた分、発症が人よりすこし遅れていたのかも知れません。一度病院で花粉症検査をしてもらおうと思います。

(→追記:全く花粉症ではありませんでした)

 

 病院といえば、ヴァイオリンのレッスンをすることはお医者さんが患者さんを診るのと似ているなと思うことがあります。レッスンに来た疑問を抱えた生徒さんの演奏を聴いて、それに対し問題点を見極め(診断)、その場であれこれ解決を試みたり(治療)、その人に合った課題を出したり(処方箋)、姿勢や家での練習の仕方についてアドヴァイスをしたり(生活習慣の指導)するところなど。

 病気でしんどい時に、お医者さんに行って診てもらうだけで何となく気分が良くなることがありますが、かつてオーディションやコンサートの準備で行き詰っているような時にも、先生にレッスンを見てもらうだけで道が明るく開けてきた気がして、ほっとした気分になった思い出があります。私もそのような、生徒さんに安心感を与えられる存在になれたらと思います。

2018/3/1

 

  また見てしまいました。学内の実技試験で数分後に演奏しなくてはいけないのに、全然練習が間に合っていないという悪夢を。卒業してからもう何十年?も経っているのに、一体いつまでこんな夢を見続けなくてはいけないのか。。他にも、リサイタルが始まろうとしているのに舞台袖でこれから何を弾けばいいのかわからくて絶望的な気持ちになっているとか、オーケストラの演奏会の開始間近なのに様々な障害が起きて会場に一向にたどり着けない、などの悪夢も一定の周期で見ます。

 音楽仲間に聞くと、やはりいくつになってもこういった夢を見続ける人はけっこう多いようです。やはり音楽家もアスリートと一緒でその瞬間が勝負なので、うまくいかなかった経験は一生のトラウマになってしまうのかも知れません。静まり返った中で聴衆が固唾を飲んで見守る中で実力勝負するプレッシャーはちょっとやそっとのものではありません。最後は自分の精神力との闘いですね。

 オーケストラは基本チームワークなので、例えヴァイオリンセクションは大勢いるとは言え、一人でも欠けることは許されない雰囲気があります。桐朋学園では創立者斎藤秀夫秀雄先生の教えから受け継がれた伝統で、リハーサルに遅刻すると指揮台に立って皆の前で謝罪をさせられました。(実際に遅刻した生徒は私の在学中一人だけでしたが。)入っていった瞬間音が止んでしんとなり、重い空気の中、皆の視線が注がれる中で頭を下げて謝るというのは、恐怖と恥ずかしさから何が何でも避けたいシチュエーションでした。

 個人のリサイタルでは本人の体調が悪ければコンサート自体がキャンセルとなりますが、オーケストラの本番でも、急に休むと替わりが見つけられないということから、かなり体調が悪くてもとりあえず這ってでも出ていくことが多いです。特に今まで、本番で休んだ指揮者にはお目にかかったことがありません。かなり体調管理に気を使っているのでしょうか。

 

2018/2/28

 

 最近の子供は一昔前に比べて体格がいい子が多い上に手足長いので、楽器のサイズ替えが早いですね。

私は早生まれということもあり、中学になってやっと背が伸び始るまではいつもクラスで一番小さかったので、小6でやっとフルサイズになったのですが、生徒さんの中には小2ですでに3/4サイズ、小3の終わりにはフルサイズなんて子供もいます。

 それにしても人類は数万年かけてネアンデルタール人etc. から今の状態に進化したのに、たかだか20年くらいで日本の若者が小顔で手足が長くなってしまうのだから、進化というのは不思議です。

2018/2/8

 先月アメリカ時代の友人夫妻の娘さんが大阪女子マラソンに招待されて出場したため、友人夫妻と娘さん夫妻が来日し、一週間行動を共にして大阪、京都、東京を案内しました。
 12年前にアメリカから帰国したときには仕事も人間関係も全て一旦リセットして、アメリカとは全く繋がりのない新しい環境と人間関係の中で日本での生活を始めたので、私にとってアメリカで過ごした日々はすでに前世のように感じることがあります。

 でも懐かしいアメリカからの友人達と過ごしていると、だんだんと声もつられて大きくなり開放的になってきて、次第にアメリカにいた時の自分が戻ってくる気がしました。そう言えば当時の私はもっと明るく積極的だったけれど、日本で生活するうちにいつの間にか慎ましく?謙虚に?なっていったような。

 

 異文化の中では自分の違った面が引き出されるというのは海外生活の長い友人たちからもよく聞く話で、海外ではシャイだった自分から抜け出せるけれど、日本に戻るとまたシャイな性格に戻ってしまう、電話に出るときの声のトーンが英語の時より日本語の時の方が高い、などということは多いようです。

2017/12/12

 

  今年も残り少なくなり、クリスマスムードが高まる中、オーチャードホールで、小曽根真さんのクリスマスジャズナイトのコンサートを聴いてきました。当初はエンジェル・ブルーという、メトロポリタン歌劇場でも出演しているソプラノ歌手とのコラボということで楽しみにしていたのですが、体調不良のためキャンセルとなり、サプライズでジャズピアノの上原ひろみさんが出演して、小曽根さんとのピアノデュオを披露してくれました。

 上原ひろみさんは、アメリカで活躍している素晴らしいジャズピアニスト、というくらいしか知りませんでしたが、全身全霊を傾けて弾く神がかり的な演奏、細やかなタッチとパワフルさ、延々と泉のように湧き出る即興、全てがすごかったです。

 小曽根さんと上原さんの演奏を聴いて、ふ何故クラシックはこのように楽しく演奏できないのだろうと思いました。本来クラシックも演奏者が楽しんで夢中になって演奏し、観客がそれを聴いて熱狂するはずのものだったはず。それがとりわけ日本ではクラシックはかしこまった堅苦しい音楽となり、心をどこかに置いてきてしまったような演奏が多い。留学していた時に出会った欧米の学生には、何というか身体から音楽が出てくるような人、身体と楽器、そして音楽が全て一体となっている人が何人もいました。日本人にとっては民族的な壁もあるのかも知れません。

 心から楽しんで音楽を演奏したい。それには技術的な問題があると妨げとなってしまうので、日々精進して技術を磨いていくことも必要ですね。

2017/12/9

 

  今日は クラシックコンクール全国大会名古屋会場の審査員をしてきました。小・中学生の部合わせて5時間という長さで、途中で眠くなったらどうしようかと心配しましたが、子供たちの個性あふれる演奏を聴くのが楽しくて、全く退屈しませんでした。最近は小学生が、私が高校・大学で弾いたような曲を弾くのでびっくりします。

 クラシックコンクール、通称クラコンは入賞者をなかなか出さないことで有名で、すでに27回もやっていながら、ヴァイオリン部門ではいまだかつて1位は出たことがありません。今回は小学校高学年の部、中学の部でそれぞれ2位が一人、あとは4・5位が数人という結果でした。

 クラシックコンクールは審査員5名の点数のうち、一番高い得点と低い得点を除いた点の平均だけで順位をつけます。私たちでも点数で迷うことはあるので、そのときつけた1点の違いで、結果が全く違ってくることもあります。参加された皆さんには、あまり結果にこだわらずに、あくまでこれからの勉強に生かすためのよい経験ととらえて頂きたいと思います。

 しかしながら、中にはとび抜けて素晴らしい子がいるのも確かです。そういう子は、まず小学生でも、態度も大人っぽくて堂々として余裕がある子が多い。小学生くらいだと、体型でもだいぶ差が出てしまうので、

 

それにしても、いつも思うのは小学生の方が中学生よりもはるかに演奏が生き生きして、聴いていて楽しいのだけど、何故なんでしょうか。子供は先生や親に乗せられてあまり深く考えずに思いっ切り演奏できるけど、思春期がおとずれて自意識や自分との葛藤が生まれ始めると、却って難しくなってしまうんでしょうか。音や技術はしっかりしてくるものの、何となく重たくて野暮ったい演奏が増えてくるのが気になるところです。

2017/11/12

 

 今日、長い間聴いていなかったサンサーンスの協奏曲のCDを取り出し聴いていたところ、サンサーンスのあとにショーソンの詩曲が収録されていました。学生時代、この曲がどうもいまいちピンとこなくて好きになれなかったことを思い出しながら聴いていたのですが、ん?何?このしっくりくる感じ。

 若かりし頃はメンデルスゾーンやフォーレ、サンサーンスなどの、希望に満ちて美しさが溢れるような曲に魅かれたけれど、今の私には渋いこの曲がすごく強く語りかけてくる。歳を経て人生色々経験したあとに聴いて初めて、この欝々とした曲の魅力が理解できた気がしました。

 年齢とともに同じ音楽でも感じ方が全く違ってくるのも、音楽の奥深いところですね。

2017/10/14

 

 バロック時代のダンスを知ることなくしてバッハのメヌエットやブーレを語ることはできない!ということで、今日はバロックダンスの講習会に参加してきました。

講師はバロックダンスの第一人者、浜中康子先生(というか日本でバロックダンスが踊れる人って他にあまりいない気も。)バロックダンスの生まれた歴史的背景から、ステップの踏み方、音楽とどう関係しているかの説明まで、とても内容の濃い講習でした。

 バロックダンスは17世紀にルイ14世によって確立された踊りで、当時のフランスの貴族にとっては、優雅な立ち居振る舞いも含めた踊りはたしなみの一つであり、誰もが幼いころからレッスンを受けていました。ルイ14世自身もダンスが大好きで、宮廷舞踏会だけでなく、バレエにまで出演していたそう。(画像はルイ14世が朝日に扮してバレエの最後の場面で登場したときのもの、下は王のダンスの映像版)

ルイ14世は160㎝くらいしかない身長をより高く見せるために、11㎝のヒールを履き、さらにかつらで髪を盛り上げていたのだとか。そんなルイ14世は宮廷の中ではファッションリーダー的な存在で、王が身に着けるアイテムは宮廷内の貴族たちがこぞって真似をするという始末。そして、バロックダンスは当時の流行の服装(ベル・スリーブなど)をいかに優雅に見せるかで手のポジショニングや振り付けが作られていったそう。

 当時のダンス教師たちは、振り付けも作曲もし、自分でポシェットヴァイオリンという小型のヴァイオリンを演奏しながら指導するというマルチタレントの持ち主だったらしく、宮廷内でのダンス音楽を担当していた作曲家リュリも、王とともにバレエに出演して踊っていたらしいです。

 

 バロックダンスは一見静かな踊りで楽なのかと思いきや、抑制された動きなだけにいっそう足を緊張させ続けていなくてはならず、ずっとかかとをあげているのでバランスをとるのも大変。スカートの中ではこんな大変なことになっていたんですね。

 今日はステップはメヌエットだけでしたが、バッハのメヌエットの音の延ばし方やフレージングが、ダンスのステップと密接な関係にあるのだなと納得。またブーレやサラバンドなど、他のステップにも挑戦してみたいと思います。

 

 

2017/9/30

 昨日紀尾井ホールで行われたオーギュスタン・デュメイのリサイタルを聴きに行ってきました。今回は息子か孫ほどの年齢差の若手ピアニスト、レミ・ジュニエとの共演。プログラムはブラームス第3番、R・シュトラウス、フランクのソナタでした。

 フランス生まれのデュメイはグリュミオーに師事し、正統派のフランコ・ベルギー奏法を受け継いでおり、かつてはクライスラーも使っていたという彼のストラディヴァリから溢れる、艶と気品のある美しい音にうっとりしました。

 ブラームスは個人的にはマリア・ジョアン・ピレスとの味わい深い共演の方が好きですが、フランクはレミ・ジュニエとデュメイの音色が一体となり、見事な演奏でした。R・シュトラウスは「ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら」「ドン・ファン」などの交響詩を思い起こさせる箇所がそこここにあり、このソナタはシュトラウスのオーケストラ曲を聴かずして理解することはできないのだな、と感じました。

 アンコールに演奏されたパラディのシシリエンヌは、昔大好きだったグリュミオーの小品集のLPにも入っていて、グリュミオーの演奏を彷彿とさせるものがありました。

 一つだけ気になったことは、フレーズの終わりや楽章の終わりで、最後の長い音をわりとあっさりと終わって弓を持ち上げてしまうこと。もう0.5秒くらい余韻に浸っていたいんだけどな。

 それにしてもデュメイ、身長は2メートル近くで、足はやたら細く長く上半身はがっしりして、その体型はニワトリのよう(失礼)。彼の長い腕だと弓の先まで行ってもまだひじが90度近く曲がっていて、我々が弓の真ん中部分を弾く感覚で弓先が弾けるので、ずっと楽なんだろうなと思います。彼のフォルティシモの音のパワーは、どうやっても東洋人女性には敵いません。

 

(写真は昔オーケストラで彼と協演したときのもの)

 

ジメジメと湿気の多い今日この頃、レッスンに来るほとんどの生徒さんの楽器の調弦が低くなっています。湿気で弦も弓の毛もゆるみ、音が下がりやすくなっていますが、そのまま練習していると耳が低い音程に慣れてしまい、きちんと調弦し直しても、やけに音程が全体的に低かったりします。

調弦はこまめにしましょう!

 また、楽器やペグが湿気で膨張して、音合わせをしようとしても、固くて動かない楽器が多いので、これもクレヨンのようなペグ コンパウンド(レッスン日記 ヴァイオリンアクセサリー参照)をぬって、スムーズに動くようにしましょう。

雑誌サラサーテの6月号に、「江藤俊哉の遺したもの」という特集が載っています。同門で同年代だった川本嘉子さんや、矢部達也君の対談で、私がエッセイ 江藤先生の思い出で書いたのと同じように、やはり「ねっとり」が先生のキーワードだったと書かれています。

懐かしい合宿の写真も。

ぜひご覧ください!