楽器との出会い 

 ヴァイオリンニストに、どういうきっかけでヴァイオリンを習い始めたのか、と尋ねたら、様々な答えが返ってくると思う。人が演奏しているのを目にして、自分も弾いてみたいと思って始めた人もいれば、親がヴァイオリンの音色に憧れ、子供に夢を託して、自分の意思とは関係なくヴァイオリン教室に連れて行かれた人もいる。

私の場合は、母がピアノを教えているので、自然な流れでピアノを始めた。しかし、親に習うとどうしてもすぐにけんかになってしまうので、やむなくヴァイオリンに転向することになった。

(けんかは、ヴァイオリンに替わってからも、練習しなさい →今やるところだったのに、のやりとりが大学に入るまでずっと続いた記憶がある。)

 ヴァイオリンを始めた理由として意外と多いのが、ヴァイオリンなら持ち運びやすいからとか、家にピアノを置くスペースはないけれどヴァイオリンなら、といった現実的な理由による楽器の選択だ。確かに日本の住宅事情で家にグランドピアノを置くのはなかなか難しいし、金管楽器は一軒家にでも住んでいないと音出しが難しい。また、チェロケースを担いでの公共の交通機関での移動は大変である。そう考えるとヴァイオリンは手軽に始めやすい楽器なのかも知れない。

 

 しかし、ヴァイオリンも小さい子供向けの1/16サイズから、成長と共にハーフサイズ、3/4と進んでいくうちはいいが、思った以上に子供が上達し、音大へ、そしてプロの道へと進むとなると、いつか、ある程度のレベルのフルサイズの楽器が必要となる時が来る。そうなると、素晴らしいヴァイオリンのお値段というのは際限なく、ピアノの比ではないのだ。

 

 私も中学生でフルサイズの楽器に変わって以来、ずっと同じ楽器を使っていたが、とうとうこの楽器から卒業するときが来たと感じるようになり、15年ほど前に楽器探しを始めた。

楽器とのめぐり合いは、パートナーとの出会いとよく似ている。一目惚れもあれば、弾いていくうちにだんだんと愛着がわいてくることもある。演奏家それぞれの好みもあれば、楽器との相性もある。

いい楽器を持てば誰でもいい音が出せるかというとそうとは限らない。いい楽器ほど、弾き手に敏感に反応するので、そこまで技量のレベルが到達していない人間が弾くと、反って弾きこなせず、欠点が目立ってしまうこともある。ストラディヴァリウスやグァルネリのように絶対的に素晴らしい楽器は存在するが、無数の楽器の中で、どの楽器が自分にとってベストな楽器かとなると、選択は演奏家によって全く異なってくる。

 

 ヴァイオリンニスト達は楽器を選ぶにあたって、まずは楽器屋さんに行き、いくつか予算に合ったものを試させてもらう。もし気に入ったものがあったら、それを通常一週間くらい貸してもらって、その間、家で弾いたり、ホールに持っていって弾いてみたり、それを人に聞いてもらったりする。私の場合、訪れた楽器屋で何となく惹かれて気になった楽器を一週間借りてみたものの、すぐには決心がつかず、とりあえず楽器屋さんに返却したが、そのあと自分の耳の下で鳴っているその音色や、手が楽器を触れているときの感触などをどうしても忘れることが出来ず、買うことを決心した。何か私の感覚にぴったりとくるものがあったのだろう。

 

 しかし、幸運なことに運命の楽器と出会えたとしても、それで安心はできない。特に古い楽器ほど、まるで気難しい恋人のように、湿気も極度の乾燥もダメ、年に2-3回は楽器屋に持って行って調整をしていつもメインテナンスをしてやらないといけない。また、しばらくいい加減に弾いていたりするとだんだん楽器そのものの音が輝きを失ってきてしまう。逆に、いい弾き手が丁寧に弾き込んでいくと、楽器の木材の組織に働きかけるのかよく分からないけれど、どんどん楽器が鳴るようになってくる。昔よく、私の先生がレッスン中に私の楽器を取り上げて弾いてみせてくれ、そのあとに弾くと、楽器が前より鳴るようになっていることがあった。そうやって弾き手に応えて常に音色を変えていくヴァイオリンは、まるで生きているかのようだと感じることがある。

 私が今使っている楽器は1700年代にヴェネツィアで作られた。ちょうどヴィヴァルディが教会で作曲をしながら少女たちにヴァイオリンを教えていた頃で、彼女たちによる合奏団はヨーロッパ中を演奏旅行するほどの腕前だったらしいが、もしかしたらその少女たちの一人がヴィヴァルディの目の前で、この楽器で演奏していたかも知れない。そう考えると、今私の手の中にこの楽器があることに、不思議な運命を感じる。

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 ハイフェッツの有名な逸話がある。

あるとき、コンサートのあと、ハイフェッツの楽屋に1人の女性が訪れ、ハイフェッツにこう言った。

「今夜の貴方のヴァイオリンは素晴らしい音色でしたわ。」

するとハイフェッツはヴァイオリンに耳を近づけ、

「ふーむ、何も聴こえませんがね?」と言ったそうだ。

 いくら楽器が良くても、弾き手が良くなくてはしょうがない、ということである。