日米音楽事情





※この記事は2006年12月に、某音楽ホールの情報誌に掲載されたものです。


 昨年12月、14年間のアメリカ生活に終止符を打ち、日本に帰国した。一時はずっとこのままアメリカに住み続けようかと思ったこともあったけれど、心のどこかで日本に大切なものを置き忘れている気がしていた。日本に久しぶりに住むようになって、改めてこの国を見つめなおし、一年たった今もなお、新鮮な驚きの絶えない毎日である 。


 アメリカでは、ヴァージニア州にあるオーケストラで7年間仕事をしていたが、最近日本のオーケストラでも演奏するようになって、両国の文化の違いを感じることがある。例えば、どんなプロのオーケストラの演奏会でも、お客さんに聞こえない程度の小さなミスは起こるのだが、そんな時、和を重んじる謙虚な日本人は、自分のミスが仲間たちに迷惑をかけてしまったと罪悪感を感じ、周りの人に謝ってしまう。アメリカ人はというと、ミスは基本的に何もなかったかの如く振舞うのが原則で、謝罪の言葉などは聞いたこともない。そのかわりにいつも「Good Job!  良かったよ!」とお互いをねぎらいあっている。そうやってほめられたときには、素直に「Thank you. 」と言えばいいんだと気付くまで、しばらくかかった。はじめのうちは、ほめられるたびについ、「いやあ、それほどでも。」なんて謙遜していたものだ。


  自己PRをして売り込んでいかなければ誰も振り向いてくれない国アメリカと、謙遜が美徳とされる日本。こうした国民性の違いは、すでに子供の頃から培われているようだ。アメリカと日本の両国で様々な年齢の生徒さん達を教えてきたが、日本で生徒さんをほめると、お母さんから「いえ、うちでは全然練習しなくて喧嘩ばかりで。」などといった答えが返ってくることが多い。それに比べ、アメリカで、例えば自分の子供が人前で演奏したあと、お母さんに「どうでしたか」と尋ねたら、まずは自慢げに、「うちの子すごく上手に弾いたんです。」と答える。こうしていつもほめられているうちに、アメリカ人は自信に満ちたポジティブな性格を身につけていくようだ。

私がアメリカで教えていた大学生の男子生徒は、ある日、レッスンでバッハのシャコンヌを弾き始め、しばらくして突然弾き止めて一言、

「おお、なんと美しい・・・。」

一瞬何のことか分からなかったのだが、どうやら自分の演奏に陶酔して感極まり、弾き止めずにはいられなかったらしい 。


 日本では、12月と言えばベートーベンの第九の季節なのだが、アメリカでの定番はもっぱら、ヘンデルのメサイアと、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」である。特に「くるみ割り人形」は、毎年これを見ないとクリスマス気分が盛り上がらない人も多いらしく、おめかしをした子供達やカップルで、毎年10回以上の公演はいつも満席だった。

バレエの伴奏としてオーケストラは舞台下の薄暗いピットに押し込まれ、しかも、しまいには楽譜なしでも弾けてしまうくらい何度も演奏するので、いつも最後に気力と体力の限界に達したところで、クリスマス休暇を迎える。

先日偶然に、「くるみ割り人形」の中の有名な「花のワルツ」がピアノ連弾で演奏されるのを聴いた。不思議なもので、音楽には聞いた途端に、その音楽を自分が弾いていた頃や、自分がその音楽に熱中していた頃の思い出を瞬時に蘇らせる力がある。「花のワルツ」を耳にした途端、ハープの冒頭のソロ、ピットの薄暗い照明、ステージのにおい、客席側からオーケストラを珍しそうにのぞき込む子供達の表情などが鮮明に思い出されて、とても懐かしい気持ちになった。


 今頃また友人たちは、少しだけ疲れた気持ちで「くるみ割り人形」を弾きながらも、その最後の公演が終わったら、家族や知人達と幸せに満ちたクリスマスを過ごすために、うきうきとした足取りで家路につくことであろう。